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現地のオプショナルツアーを使ってカンチャナブリを走る泰緬鉄道に乗ってきた。
泰緬鉄道は第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)の間を物資を運搬させるために、日本軍が大量の人員を動員して作らせた鉄道。
当初の見積もりでは5年ほどかかると言われていた工事を、大量の現地人と捕虜を動員し、タイとビルマの両側から同時進行で行うことで僅か1年ほどで完成させてしまったらしい。
この大急ぎで行われた鉄道工事では多くの人命が犠牲になり、英語圏の方々からは「死の鉄道」とも呼ばれていたらしい。
クウェー川からボートでクウェー川鉄橋へ
早朝にホテルを出発してカンチャナブリ県へ移動してクウェー川からボートでクウェー川鉄橋まで移動した。
クウェー川鉄橋は映画「戦場にかける橋」で有名なスポットらしい。
ここが船着き場。
クウェー川にはこのようなハイレベルな屋形船がそこらじゅうにあった。
船着き場のお姉さんが飼っているリスが可愛いい。
ボートは結構ハイスピードでちょっとしたアトラクション感覚だった。
あっという間にクウェー川鉄橋に到着した。
鉄橋の右側は戦中に爆撃されて戦後に修復されたもの。
左側と少し形が違うのはそのせい。
クウェー川鉄橋の下をくぐったところで船着き場へ到着。
ボートはエンジンがむき出しで、調理器具のバーミックスみたいな感じで先っぽにプロペラがついていた。チャオプラヤ川や水上マーケットなどでも同じようなボートが沢山走っていた。
泰緬連接鉄道慰霊碑
第二次世界大戦博物館に向かう前に泰緬連接鉄道慰霊碑に立ち寄った。
泰緬鉄道に従事し亡くなった方々のために当時の日本軍が建てた慰霊塔とのこと。
第二次世界大戦博物館
慰霊碑に立ち寄ったあとは第二次世界大戦博物館を観光した。
泰緬鉄道の工事に関連する資料や展示が多く展示されている模型が結構リアル。
当時は工事中に亡くなった方などは線路脇に積み上げたり埋めたりしていたらしい。
今回ついたパンダバスのガイドさんは日本へ留学した経験もあるらしく、日本語がとても上手だった。日本語があまり上手ではないガイドに当たると、何を言っているのかを自分の脳内で正しい日本語に変換する必要があり、話がスッと入ってこない。
その点この方の日本語は聞いていてストレスが一切なかった。
博物館を出たあとは列車の到着まで自由時間。
クウェー川鉄橋を歩いて散策できるということで鉄橋へ向かった。
途中のお土産屋に子供のヒョウがいた。
100バーツ(300円弱)で記念撮影とミルクをあげることができるらしいのだが、店主と激しく喧嘩中でシャーシャー言っていて、とてもそんなことができそうな状況ではなかった。
クウェー川鉄橋
お土産屋を通り過ぎて鉄橋までやってきた。
観光名所なだけあって凄い人。
すれ違うのに苦労するほど混雑していた。
泰麺鉄道に乗ってタムカセ駅へ!
鉄橋を超えた先の駅から泰麺鉄道に乗車する。
こっちの鉄道は時刻表があって無いようなものらしく、あんまりあてにならないらしい。
それでも何時くらいには着きますよみたいな情報はガイドさんに入るらしく、その予想時刻を少し過ぎたくらいに列車がやってきた。
今からこの列車に乗ってタムカセ駅というところまで移動する。
車内はこんな感じ。
観光客用ゾーンは指定席。
ご覧の通り古い車両なので冷房はついていない。
車内の温度調整は幾つか設置されている扇風機が頼みの綱。
日本ではちょっと考えられないレトロな車両。
線路のせいなのか車両のせいなのか分からないがとにかく揺れる。
電車に揺られながらビールを頂く。
車窓から見える田園風景は最初はいいが途中で飽きる・・・。
ぼーっと外を眺めながら電車に揺られていると、ガイドさんからそろそろ降車駅に着くので荷物をまとめておくようにとの指示出た。
そして駅に到着する直前に窓の外が凄いから見ろとガイドに言われ、窓から顔を出してみると・・・
おお!
これは凄い。
線路の下の支えが木だけど大丈夫なんだろうか・・・?
反対側は川が流れていて山肌をなぞるように列車は走っていた。
乗客のボルテージが急上昇したところで駅に到着。
列車を見送ったあとは先ほど通ったポイントまで歩いて移動した。
ちょっとバランスを崩して転んだら線路から転落して大けがしそうな感じだったけれど、手すりも柵も何も無い所が海外の観光地らしい。
列車が頻繁に来ないから成立している観光だなと思った。
この後はビュフェ形式の昼食を頂いた。
お腹いっぱい食べてさあ帰ろうかといったところで雨が降ってきた。
食後は車に乗って出発地点に戻ったところで解散。
その後はツアーで一緒だった方々と周辺を少し散策して、夕食をみんなで食べたところで解散になった。
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